後楽園ホールの藤波プロレス会場で募金活動

 

5月11日、午後5時頃から藤波プロレスラーのご好意によって、後楽園ホールでのプロレス試合会場入口で「ネパール地震義援金募集」活動を会長自身も現場に立って行ないます。是非、皆様も試合会場に足を運んでいただいて試合を楽しみ、当協会の募金箱にも暖かい義援金をご投入ください。

一般社団法人日本-ネパール親善協会 会長 山岸 正

 

ネパール大地震災害義援金箱

 2015年4月25日、マグニチュード7.8の地震がネパールの首都・カトマンズの北西80Kmの中部地区を襲い、死者数は

現時点で8,000人余。最終的な死者は2万人に!!!

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一般社団法人日本‐ネパール親善協会

株式会社シーホースコーポレーション

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ネパール大地震から3日目の状況

 

進まぬ復旧工事・死者2万人か?

私のエッセイ 鈴木 ユミ

2015年04月25日午前11時55分、悲劇は突然現れた。ネパールは未曾有の大地震に見舞われた。マグニチュード7.8と聞いた。歴史的建造物、そして、そのとき、その場所に遭遇した人々は、ほとんど助からず、古い家も、そこここに壊れ、その下敷きになった人は未だ、救出されていない。昨日には、各国の救援隊が到着したようであるが、発生から3日間、救出の手は回らず、助かった人はあまりいない。人々は建物の揺れと崩壊を恐れてまだ野外キャンプをしている。時折、余震に驚き、ただただ怖がっている。地震国日本で生まれ、大地震の経験もしている私は、さして驚かなかったが、人々の姿を見ていると、日頃の訓練がいかに大切かよくわかる。まずは火の元を消す。扉を開ける。揺れが収まったら外へ出るという基本がない。しかし、今回建物の造り方が耐震構造ではない、この地域の問題を考えると、そうも言ってはいられないかもしれない。この家は、クラックひとつなかった。造り方、構造がよかったのであろう。外に出る必要はなかった。ずっと家に居る私を、ネパール人の周りの人々は不思議そうに見ていた。日本人は地震の経験があるから、安全を確保することを知っていると立証されたようだ。

まだ家の周りを見ただけで外に出ていないが、聞くところによると、かなりの家がペチャンコに崩壊し、その下にまだ、助けられていない人々がいるという。昨日の発表で、死者5千人を超えた。地方には一瞬にして崩壊した村がいくつあるのかはかりしれない。そして、震源地のダーディンに、当家のディディが帰っていて、地震のあった当日戻ってくるはずだったが、昨日まで連絡がなく、今朝本人がやってきた。よく生きていてくれたと喜んだが、村は全滅で、家も畑も動物もすべて失ったしまった。地震のときは外にいたそうで、両親、兄弟甥、姪ともかろうじて助かり、生きていればなんとでもなると励ました。彼女はカトマンズの夫が、バイクで迎えに行って連れて帰ってきた。カトマンズの家もクラックがはいり、安全ではないといっていた。これからのことも心配である。水、ガスもまわりに売っていないといっていた。大使館に避難した人々も、それぞれに行き先を定めて出て行った。この度の犠牲者は、2万をこすかもしれないといわれている。人だけではなく、貴重な文化遺産も80%以上は崩壊した。

復旧に向かってはしったとしても、元にもどるのは、どのくらいかかるのだろうか。今から27年前、私はインドネシアのジョクジャカルタに行った。ここは古い都である。やはりかつて、地震で壊滅状態になった。ボロブドールは、ほぼ修復されていたが、近くのプラバナン遺跡は4つのストーパのうち、2本だけが完成されていた。残り2本はいつごろ修復完成されるか聞いてみたら、100年後だと言っていた。この度の世界遺産の修復は可能だろうか。可能だとしてどのくらいかかるのだろうか?おそらく100年はかかるだろう。そして街が元のようになるには、すくなくとも10年はかかるだろう。その歳月は、私は存在しないだろうが、大切な歴史遺物を残す努力を続けてほしいと願っている。震災で失った命は戻らない。同じ人間は二人といない。その悲しみを乗り越えて人は強くなっていく。人生には限りがある。いつどこで終わりを迎えるかは、神のみぞ知る。私達が今を生かされていることを感謝し、一日一日を大切に、意味あるものにしていかなくては、亡くなった方々に、本当に申し訳ないと思う。

ネパール在住の鈴木さん、「ネパール地震に思う」

 ネパール大地震に思う

2015年04月25日午前11時55分、ネパールの未曾有の大地震に大地が揺れ、裂けた。人々は恐怖におののき、古い家屋は跡形もなく倒壊し、多くの人々が閉じ込められた。

「ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず、中略、世の中にある人と棲家とまたかくの如し」方丈記の冒頭にある言葉は、まさに今回の大地震の様相を酷似している。また21条から23条までの地震は1185年 (元暦2年7月9日) の京都大地震の有様を記述している。21条の子供を失った夫婦の様子は、この度の地震とまったく同じだ。4月25日から27日までの街の人々の思いを、私は重く受け止めている。瓦礫の中から救い出される可能性はこの3日間にあったはずだからである。他国の救援隊が28日から救助活動を始めるまで、なにをしていたのだろう。救われるべき命の重さを、私達は真摯に受けとめていかなければならなかったはずなのだと。

2015年05月01日  <会長の友人・鈴木(カトマンズ在住)のネパール通信への投稿記事転載>

 

 

ネパール地震、首相、死者1万人の可能性を示唆

2015年4月28日、ネパールのスシル・コイララ首相が28日にロイター通信に「死者が1万人に上る可能性」と語った。生存率が急激に下がる72時間を既に過ぎ、震源地周辺地域の山岳地帯への通信・道路網の寸断などで救助が遅延しているためだ。現時点で死者が5,000人を超えているのでその可能性は十分にあるだろう。

 

 

 

 

 

ネパールで大地震 / Large earthquake in Nepal

ネパールで大地震、被害甚大、私たちは被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。

グニチュード8級の地震が4月25日現地時間で午前11時56分(日本時間同日3時11分)に首都カトマンズの北西80キロの地域で発生しました。現時点で死亡者が2,000人弱で首都カトマンズでも被害が拡大しており、死亡者は今後増加すると言われています。情報が入りにくくなっているので詳しい実情は把握できませんが、順次情報が入り次第お知らせします。

Large earthquake in Nepal, damage enormous, we tell the sympathy from our heart to the people that have been affected.

Magnitude 8 class earthquake occurred in a.m.11:56 in the April 25 local time (Japan time on the same day p.m. 3:11) in the northwest 80 km area of the capital Kathmandu. At this time,

Number of deaths is about 2,000 people and increasing damage even in the capital Kathmandu, deaths will have been said to increase in the future. Because it is difficult to get detailed information we can not catch correct state, but we’ll let you know as soon as the sequential information.